ペットショップが日本の百貨店を変える
2012 / 04 / 12
爬虫類が好きで、
休日はペットショップを回っていることが多いです。
最近では、爬虫類を中心とするペットショップでも、
店内プロモーションにこだわっているところが多く、
歴代の爬虫類たちのアルバムを置いたり、
飼い方をイラスト入りで解説していたりしている店もあります。
さらには、トカゲと遊べるコーナーがあったり、
リクガメを放し飼いにしているところもあります。
爬虫類を売っている場所としては、
まず爬虫類の専門店がありますが、
その他には熱帯魚や小鳥を中心としたペットショップで、
数種類のみ爬虫類を置いているところもあります。
どんなタイプのペットショップもそれなりの営業努力をしているのですが、
「ちょっと営業努力が足りないなぁ」と思ってしまうのが、
百貨店の屋上にあるペットショップです。
百貨店の屋上には、だいたい子どもたちが遊べる屋上広場があって、
それにペットショップが併設されていることが多いです。
おそらく、お母さんが買い物をしている間に、
お父さんと子どもが屋上で飲み物を飲んだり、ペットショップを見に行ったりするのだと思います。
そして、たまに子どもが「カメがほしい」「ハムスターがほしい」とねだって、
お父さんが買ってあげたりしているのだと思います。
百貨店が元気なうちは、そのような方法でも、
なんとか売上が上がっていたのだと思います。
でも、百貨店が少し元気をなくしてきている今、
百貨店の屋上のペットショップも変わらなくてはいけない時が来ているのだと思います。
たとえば、
お母さんを待つために行くペットショップではなくて、
子どもが行きたいとねだるようなペットショップにするには?
子どもが百貨店の屋上のペットショップに行きたがれば、
お父さんもお母さんも連れて行くことになります。
お父さんは相変わらず子どもと一緒に屋上で過ごすと思われますが、
お母さんは(それを言い訳に)他の階にお買い物に行くと思います。
例えば、
生命の進化の不思議についてわかりやすく教えてくれる店員さんがいる、
動物に餌をあげたり触ったりする体験ができる、
それだけでも子どもたちはペットショップに行くのが楽しくなるはずです。
そこで爬虫類の出番です。
多くの爬虫類たちは、子どもたちが大好きな恐竜にそっくりの外見をしています。
また、一部の爬虫類を除いて、おとなしくのんびりした性質のものが多いです。
爬虫類には、子どもを引きつける魅力がいっぱいあります。
爬虫類の種類を増やしたら子どもがもっと喜ぶかも…と勝手に思っていたりします。
まあ、半分私の趣味になってしまいましたが、
「百貨店の屋上のペットショップがもっと頑張れば、
日本の百貨店はもっと元気になる」
ということを言いたかっただけです。
写真はニシアフリカトカゲモドキのファルコンです。
「今日のゴール」を決める
2012 / 04 / 04
最近、心がけていることに「今日のゴール」を決めるということがあります。
私が一緒にお仕事をする方は、
中小企業の社長さんだったり他の士業の方だったりするわけですが、
ほぼ7~8割の確率で「話し好き」です。
ほとんどが起業したり独立したりした方たちなわけですから、
通常の方よりもエネルギーが満ちあふれているのは当然なわけですが…
ただ、悩みどころなのは、
あまりに相手が話し好きだったりすると、
話が本題から脱線したり、聞いている方が話に飲み込まれたりするということです。
そうなると、いい時間になって
「じゃあそろそろ…」となったとき、
「どうしよう!これを聞くのを忘れてた!」
と冷や汗をかいたりしがちです。
なので、最近は、
Evernoteに「今日のゴール」を書くことにしました。
○○様(クライアント名)
・~について教えていただく
・~の説明をする
・~に納得していただく
などなど、こんな感じです。
そのことにより、無駄や漏れが少なくなった気がします。
コンサルティング以外の仕事でも使えそうですので、
ぜひお試しください。
普遍的な美人の基準とは
2012 / 04 / 03
花魁の研究をしていた学生時代から、
浮世絵の美人画や明治時代の写真を見る機会は多くありました。
美人の基準は時代によって変わると言われます。
特に、江戸時代の美人画を見ると、
ずいぶん今理想とされる美人像と違うなぁと思う方も多いはずです。
ただ、言えるのは、
「その人が『美人』として描かれている」ことだけははっきりわかるということです。
それは、
「わざわざ浮世絵に描くのだから美人に違いない」
という仮説から類推される場合もありますし、
「このたたずまいや雰囲気なのだから美人に違いない」
という感覚的なものから察する場合もあります。
ここで強く言いたいのは
「たたずまいや雰囲気がなんとなく美人っぽい場合、
たとえ一般的な美人の感覚から外れていても美人だと認識される可能性があり得る」
ということです。
…ということは、
お化粧以上に姿勢や仕草に気をつけなくてはいけないということですね。
マインド的には、自信や意思の強さも「美人っぽく見える」秘訣かもしれません。
参考までに喜多川歌麿の「歌撰恋之部 稀ニ逢恋」を載せてみました。
現代の美人の基準とは若干違いますが、この女性が美人だということは何となくわかりますよね。
無為な一日をなくすために
2012 / 04 / 02
今はもしかしたら絶版になっているかもしれませんが、
趙昌仁の小説『カシコギ』にこんな文章がありました。
(何年か前に朝日新聞の天声人語に引用されていた気がします)
あなたが虚しく過ごしたきょうという日は
きのう死んでいったものが
あれほど生きたいと願ったあした
これを読んだとき、
かなり衝撃を受け、
「ああ、頑張って毎日を意義あるものにしなくては」
と思ったのですが、
なかなか難しいものです。
ついついダラダラしてしまうし、
ついついぼーっとしてしまう。
そんな無為な一日を無くすために、
先日から「自分日報」なるものをつけはじめてみたのですが、
http://ameblo.jp/nagisaohmori/entry-11193096479.html
無為な一日には一定の特徴があることがわかりました。
・ベッドから出るまでの時間が長い
・仕事の取りかかりが遅い
・仕事のゴールを決めていない
・一つ一つのことに集中していない
・「風邪気味だし…」「肩凝ってるし…」と言い訳している
…ということは、このようにすれば毎日が有意義になるのかも?
・ベッドからさっと起きる
・仕事の取りかかりを早くする
・仕事のゴールを決める
・一つ一つのことに集中する
・体調を言い訳にしない
たまには思い切って無為な一日を過ごすのも大切な気がしますが、
できれば毎日有意義にしたいもの。
みんなが毎日有意義に過ごせば、日本のGDPも上がるかも?
今日から新年度の会社も多いと思いますが、
実りある一年を過ごしたいですね。
なぜ私は「花魁」に興味を持ったのか
2012 / 04 / 01
このブログでも何回かお話したのですが、
『月刊企業診断』という雑誌で
「花魁マーケティングの世界」という連載をさせていただいています。
なぜ「花魁」について書くことになったかというと、
学生時代、日本文学や日本文化を学んでおり、
花魁に関する研究をしていたからです。
とはいえ、
私自身はどう見ても
「セクシー」とか「妖艶」とかいう言葉とはほど遠いタイプなので、
「なんで花魁?」
と聞かれてしまうことが多いです。
私は、もともと、
「人間が『生きる』という目的のために
最大の力を発揮すること」
に興味を持つ傾向がありました。
なので、高校の世界史の時間に先生がこんな話をした時、
私は非常に感動しました。
「殷の青銅器に精緻さは、現代の人間の手では再現不可能だと言われています。なぜそれができたかというと、職人が完璧なものを作らないと処刑されたからです。人間は死ぬか死なないかの状況に追い込まれると、何でもできるようになるんです。」
大学に進んで日本文学を学ぶことになり、
たまたま江戸時代の文学のゼミに入りました。
歌舞伎や文楽(浄瑠璃)を見てもわかるように、
江戸時代の文化や文学には、
花魁(あるいはその他の遊女)がつきものです。
男性を翻弄する美しく魅惑的な女性たち。
でも、その出自は不遇なことが多く、
また、彼女たちは(その仕事の特性上)常に病や死と隣り合わせです。
そして、彼女たちが普通の女性として生きるには、
どこかの金持ちの男性に見初められ、身請けされるしかありません。
だから、彼女たちには外見や教養を磨き続けるしかないのです。
つまり、彼女たちの美しさや魅力は
「生きるための美しさ」「生きるための魅力」
なのではないかと思うのです。
お時間がありましたら、ぜひこのリンク先をご覧ください。
http://www.wagaraga.com/headline/oiran-kamuro-yuukaku/
これは個人的な感覚かもしれませんが、
花魁の堂々としたたたずまいから感じられるのは、
悲壮感というよりも女性本来の強さなのではないかと思います。
日本に公娼制度があった事実や売買春の是非について、
私は意見できる立場ではありません。
ただ、
生きるために自分自身を磨き続けた花魁たちの姿には、
現代の私たちが勇気づけられるものがあるのではないかと思います。