まっとうな問題作「帰ってきたヒトラー」
2016 / 07 / 04
家族に
「そんなの観に行って大丈夫?」
と心配されながら観に行った作品。
戦争中のヨーロッパの映画を見たり、
ドイツを訪問したりする度に、
この疑問が浮かんでは消えていた。
総じて穏やかで知的水準も高いドイツの人々が、
なぜ彼に盲目的について行ってしまったんだろうと。
この映画を観て、その疑問に対する答えが少し見えた気がした。
1945年から2014年にタイムスリップするアドルフ・ヒトラー。
そのまま悠然と街を歩き、
コスプレだと思った通行人に笑われようが、
観光客にカメラを向けられようが、
まったく動じもしない。
その姿がたまたま制作中の映像に写り込んだことから、
テレビマンの目に止まり、
「ヒトラーそっくりさん」のモノマネ芸人として有名になって行くのだが…
そのようなストーリー。
この映画の恐ろしいところは、彼がだんだん魅力的に見えてきてしまう、ということだ。
モノマネ芸人としての自分の立ち位置をはっきり自覚しながらも、
現代の新聞や初めて触れたインターネットで現代の情勢を把握し、
街に出て一般の人々の悩みや不満に真剣に耳を傾け、
そして息を飲む見事なスピーチ…
そうやって人の心を徐々につかんでいく。
画面の中の人たちの心はもちろん、映画を観ている私たちの心も。
彼が車の中でトレードマークのちょび髭を手入れしている姿や、
ドッグブリーダーの庭で犬と戯れている姿(この犬は結局殺されてしまうのだけど)は、
可愛らしくさえ見えてくる。
彼が何をしてきた人物なのか知っているにも関わらず、好感を持ってしまうのだ。
しかし、ユダヤ人のお婆さんの「みんな最初はそうやって笑ってたんだ」という一言で、
ヒヤリとし、一気に現実に引き戻される。
そして、映画を観ている私たちは、
とりもなおさず1930年代のドイツの人の心の動きを追体験していたことに気づかされる。
また、
将来に対する漠然とした不安、
政治に主体性を持たない人々、
難民の受け入れ問題など、
1930年代のドイツと現代のドイツ(ドイツ以外の国も当てはまるかも)
が重なり合っていることにも。
私自身、
政治や国際情勢(そしてもちろん他の国の現代史についても)について
きちんと勉強して来なかったことに非常に反省させられた。
この映画のメッセージは、
政治に対してきちんとした意見を持たず人まかせにしている人々に対しての、
「このままじゃ誰か独裁者が出て来たら流されてしまうよ!」
という警鐘だと思う。
そういう意味で、切り口は挑戦的だけど、
しごくまっとうな映画だと思いました。
(あまりよい例ではないですが、
人々に影響を与える人物がどのように人心掌握していくか…
というプロセスを見る、という観点で見ても興味深い作品です。)
「帰ってきたヒトラー」公式サイト